団塊世代のつれづれ
名古屋市緑区とその周辺地域情報サイト及び便利そうなサイトをまとめつつ、つれづれに感じ、思うことを書くブログです。 弘法霊場「知多四国八十八ヶ所霊場」の開創二百年の記念年にあたり、”歩いて巡拝(まいる)知多四国”に沿って紹介しています。
大高について語ろう会
第1回 大高について語ろう会

開催日: 07年04月19日(木)19:00〜
開催場所: 山盛酒造株式会社 (名古屋市緑区大高町高見)

会の主旨: 大高地区について語りながら、今後のまちづくりや地域生活の向上に貢献する

内容: 30名ほどの参加を得て、冒頭に会の主旨説明と関係者が紹介され、引き続き本町地区の中井さんにより、「戦国から現代に至る街並みデザインの変遷と住民の心の変化」と題した基調講演が行なわれました。その後、立食パーティー形式での意見交換と懇親会が夜遅くまで行なわれました。

会場準備


基調講演の骨子:

「白」の時代:
古代から江戸初期まで、白砂青松の景勝の地であった年魚市潟沿岸の製塩業を中心とした街並みと沿岸に暮らす人々の心。
「緑」の時代:
戦国期に発達した築堤技術集団と徳川政権の資金力によって大規模干拓事業が進み、白砂青松の製塩業の地は、緑豊かな稲田と変わり秋には黄金色の稲穂が垂れる穀倉地帯となり尾張徳川家の財政力を向上させた。
「黒」の時代:
緑豊かな穀倉地帯からの収益を元に資本の蓄積が進み、大高城城下の富裕な農家には年貢蔵が立てられ、更に19世紀初頭には黒板壁の酒蔵が多く造られ、江戸へ樽酒を廻船で運び莫大な収益を得る。
明治維新以後も、築堤技術や蓄積された資本は、鉄道建設や工場誘致に活かされ、今日の街並みを形成するに至っているが江戸初期までの製塩業者と松尾芭蕉、彼等に代わり進出した農民たち・・・その都度、人々の心も大きく変化する事となった事例を漢詩文や俳句などで紹介した。

詳しくは、下記をクリックしてください。
http://jh2htq.cocolog-nifty.com/jh2htq/files/070419.pdf
研修風景



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